ジブリを見て
ゲド戦記について
ゲド戦記を見て、ありったけの感想や思い等をごちゃまぜになって書かれています。
日記でも書きましたが、この映画をみてちょっと批判的な印象で書きました。でも、具体的にどうすればいいのか、などちょっと逃げて書いていたんで書き足したいと思ったので書きます。
まず、一番に言いたいところが、宣伝にも出てくる「命を大切にしないやつは嫌いだ」という場面です。私は、このセリフはとても好きです。
自分の命を大切にしないのに、他人の命の重みを本当に知ることはできないと思うからです。ではなぜ、良いセリフなのにこの時に使うのか。ってところです。
(えっと、見てない方はわからないと思いますが、すいませんが勝手に話進めますね。ネタバレしてしまう危険があるので、まだ見てない、もしくは聞きたくない人は、読むのやめちゃってください。)
このとき、アレン(主人公)が自分の命を粗末にしながら、テルー(少女)を助けた後、偶然小屋で出会い、その時羊小屋で羊の赤ん坊が生まれた後に言うセリフなのですが、なぜこの時使ったのかを考えました。
これは予想ですが、羊の子供が生まれる後によって、命の尊さを見せて、その後、自分の命を大切にしているのか?という問いにいたったと思います。
でも、このタイミングは少し遅すぎると思います。それだったら、命を助けられたときに言った方が一番わかりやすいし、響くと思います。
アレンがテルーを助けた後、大分時間が経つんですね。それだったら、助けてもらった時に「命を大切にしないやつは嫌いだ。」と言い。羊小屋で、こんなにか弱く尊い命なのに、なんで粗末に扱うんだ!
と言ったほうがよかったと思います。
その後思ったのが、その後の様子などを少し描けばもっとよかったのに。と思いました。クモと呼ばれる魔女が、人身売買をして、人々を苦しめていましたね。
その後、あの人たちはどうなったの?と疑問に思ってしまったのは私だけですか?。それなら、捕まっている捕虜たちを大勢にしておいて、ハイタカを見つけられず捕虜を見つけてしまい、捕虜の人たちに手伝ってもらった方がよかったと思います。
そうすると、人物の少なさも少しは感じなかったはず。まぁ、こうなってくると、未来少年のパクリじゃん。と思うかもしれませんが、そんな身内でコソコソされても、町の人たちは何も気づかずに、また同じことの繰り返しではないの?
と、思います。なので、クモを倒したあと、捕虜が喜ぶ姿や、町はこう賑やかになったよ、と具体的な映像が欲しかった。
やっぱり登場人物が少なかったのではないでしょうか。最初の町の人は、最初にしか出てきませんね?でも、町で一人もすれ違わないというのは寂しいです。
少しでも、王子を知っている人物がからんでもよかったのではないでしょうか。人物が少ないと、それぞれの心境というものが単純化してしまいます。
確かに、悪と善と分けてしまうやり方はわかりやすいし、取り込みやすい。でも、それはアンパンマンやドラえもんにもできることです。私としては、少し単純過ぎて・・。
かといって、複雑にしながら、簡単に理解させる、というのは難しいです。それを可能にするのが監督や脚本の力だと思います。
このゲド戦記では、クモが永遠の命を欲しがっていますね。では、なぜ永遠の命を欲しがってはいけないのでしょう。それを理解させるのには、作者でも良い言葉が浮かびません。
でも、それを簡単に理解されるための、悪と善の分け方でいいのでしょうか。
誰だって、永遠の命は欲しい。でもそれはいけないことなんだよ。ってわからせる言葉を、もっと簡潔に言ったらよかったのではないでしょうか。
最後の方に、やたらと命の話が出てきます。でも、わかりきっている人にはつまらなく感じたはずです。「命はいつか亡くなる。それが怖くても逃げちゃだめなんだ。」
と、最後の辺りを作者はそう解釈しました。でも、永遠の命なんて無いよ?と思ってしまう。それだったら、もっと命の尊さをテーマにもって
なぜ、生きなきゃいけないの?何で死ぬの?というテーマの方が作者としてはよかったと思います。
今の時代は、(若い私が言うのもなんですが)自分の世界に入りやすいですね。
そうなってくると、フリーターが増え、生きてて意味あるの?って感じる人もいるはずです。まぁ、何で勉強しなくちゃいけないの?とかぶってしまいますが。
少し脱線しますが、私なりの生きる理由を書きますね。
私も、何で生きるんだろ・・・。って考えたことがあります。一体世の中の何の役に立つんだろ。とか考えたことがあります。私なりの考えでは、全ての行動に意味があるんだと思います。
例えば、1ヶ月なにもせず、ぼーっとしていたとしましょう。それでも、変化は起きます。例えば隣の人が不信に思ったり、周りの人からの心配ですね。
それでは、家族や友人がおらず、人里はなれた山奥で暮らしているとしましょう。それでも、人はいつか死にますね。その肉を食べて生き物が助かるかもしれません。
100年経った後、人が訪れ何か調査や感じることがあるかもしれません。
それなら、いっそのこと自殺したとしましょう。それでも、いつかは人に見つかり事件にもなるかもしれません。
そうやって、人は人に影響を与えます。それが良いか悪いか何て分からないし決めようがありません。作者がここまで考えて思ったことは、人は共存していくしか道はないってことです。
あたりまえかもしれませんが、実際に私は一人で生きてきたし、一人で生きる。と思っている人がいたとします。でも、これだけは全否定します。
作者は全否定という言葉は好きじゃありません。それは、なるべく双方の考えを考えたいからなのですが。でも、これだけは違うと言い切ります。
赤ん坊の頃から、意思がありましたか?もうこの時点で一人では生きられません。まぁ、あたりまえといえば当たり前です。それに、生まれてきた時点で人に影響を与え、世の中を変化させています。
ちょっと哲学っぽくなってきましたが、つまり作者が言いたいのは、生きろってことです。生きるということは、それだけ人に影響を与えるってことです。
それを、自ら絶ってしまう「自殺」というのが嫌いなんです。生きていれば、人に影響を与える、それがまた人に影響を与える。そうやって、人に影響を与え続けて欲しいのです。
私も人に影響を与え続けたいと思っています。ちょっと脱線しすぎたので、このあたりでやめておきますね。
えっと、ゲド戦記の話に戻りますが、結論を言いますと。映画にはテーマが必ずあります。日記でも書きましたが、この映画では物足りない。
なぜそう思ったのかと言うと、クモが死ぬのが怖くて永遠の命を欲しいと言い、それはダメだとアレンが言う。でも、永遠の命が無いのに、ダメだって言われても。
結局どうしたらいいの?という、何も無いものが生まれます。人が最後には死ぬなんて、大人は誰でも理解しています。でも、理解していない子供には強く印象が残るでしょう。
これは、そういった作品だと思います。なので、人が死んでしまうことを理解している人は、何も残りません。ちょっと限定した、映画ではなかったのでしょうか。
あと、すいません補足ですが、最後のキャスト紹介で、ヒロインの声優さんに(新人)と書かれていました。ちょっと失礼なのではないでしょうか。
たしかに、声優さんの声はいまいちでした。本当に切羽詰って言っているのか?と疑問に思うくらいです。でも、この書き方は声優さんをバカにしています。
新人と書くほどあまり出来がよくなかった。と言っているようなものです。それだったら何度も何度もやり直せば良い。新人と思われないほど頑張ればよかったのでは?
そこは監督を批判したいと思います。
ちょっと、自分で感じてしまったんですが、作者は気に入ってしまうとなかなか嫌いになれないみたいです。かなり偏見の視線になってしまうみたいです。
例えば、宮崎駿さんとか手塚治虫さん等の作品は、嫌いになることができずに、良い部分だけを探してしまいます。なんてこった・・・ですね。
初心の気持ちで見る方法を知りたいものです。(ちょっとずつ直ったらいいなぁ・・)
宮崎駿さんの作品を次々と見ていっているんですが、作品を見終わったあとに、他の人の感想を見るのが楽しくなってきました。というのは、ダメだった、と言う人と
いやいや、おもしろかったよと、言う人と別れたとき、双方の意見を見るのが楽しいです。なぜか最後には中立の立場にたってしまいます。だって双方に私を納得させる理由があるからです。
なので、意思が弱いと言われれば否定できませんし、それほど奥が深い作品なんだと思います。ちょっと一つ一つ感想を置いておきます。
ちょっと知らない人には退屈かもしれません。
未来少年コナン
私はこのアニメが好きです。特に、敵が仲間になっていき、世界が少しずつ変わっていく。ありきたりな物語ですが、私自身が単純なのでおもしろいと思ってしまいました。
便利になると、必ずツケは帰ってくる。そういったところからこのアニメは始まります。スケールの大きい話で、しかも現実味があるし、テーマも理解しやすい。
それを、おもしろく表現したり、人間の醜さや愛などを取り入れています。特に、汚い大人が良い大人に変われる所が好きです。
人間なんて汚いものです。その汚い結果がこの地球です。個人の目でみていけば、汚くない人もいるでしょう。でも実際汚い人間が多いからこそ、地球が病んでいっています。
でも、これって凄く重要で言いにくいことです。なぜなら、じゃあ、あなたは汚い人間じゃないんですね?と、言われたときに私は、「はい」なんて言えません。
だからこそ、言いづらく、重い問題なのだと思います。でも、そうやって問題を先延ばしにしていくと、未来少年コナンのように、地球に破滅がきます。
その大きなテーマに対して、希望を持たせるのがこの作品なのですが、もっと過去の事を描いてほしかったなぁ、と思います。過去に振り返る場面はあるにはあるんですが
具体的なものがないんですね。あのとき地球はこういう状況で、こういった背景が存在しているから超磁力兵器が使われた。という具体的な理由や心境をもっと詳しく知りたかったです。
それがわかってくると、現代の背景に似たようなものを見出せるようになり、もっと実感が出てきたはずです。
まぁ、私が生まれる前の作品なんですけどね。(すいません。偉そうなダメだしを言ってしまって。)
それに、この作品では食べ物を貴重にしています。非常に良いことだと思いました。何気ないところを大切にできるからです。食べ物なんて、いくらでも食べられるよ。
じゃあ、こんな風な世界になったらどうかな?と、if表現ですが食べ物の大切さが出ています。最初の乗組員8人は無人島に着きます。でもそこで、水を見つけたときの喜び。
共存していくすばらしさ。おじいは最後に、人は一人では生きていけないといいます。作者の言いたいことそのままです。そういったいろいろなテーマが詰められていて、しかもそれを子供にもわかりやすく表現しています。
だから、私はこの作品が好きです。
風の谷のナウシカ
これは、人と自然の在り方を考えさせられます。普段、水を飲んでいるけれど、一体誰が綺麗に飲めるようにしてくれているんだろう。なんてことを突き詰められます。
作者にとっては衝撃でした。最初は腐海(ふかい)が、悪い毒を発生させている。という時点で、悪者のように写します。けれど、実は自然ってこういった役目をしているんだよ。
と、大事な事を教えてくれます。それじゃ、全然腐海って悪くないじゃない。むしろ、良い物だ。と再認識されるんですね。そういう強い印象が残り、自然は大切だと再認識されるんですね。
他にも、火の7日間 という出来事の前には、現代のような社会があった。と、さりげなく人事ではないことを表しています。武力での圧力や、戦争の愚かさ。
自然の意味や、命の大切さ。年寄りへの暖かい配慮。2時間10分たらずの映画でこれだけのモノをよく表現できたものです。しかもスリルがある。人によって感じ方は違いますが
見る時期によってさまざまな感情が出てくるはずです。子供のときは、激しいシーンしか覚えてなくても、大人に近づけば違うものが見えてくる。そういった映画だと思います。
作者としては、ナウシカの過去が欲しかったです。子供の頃に、オウムが連れていかれるシーンがありますね。では、あれはどうやって拾ったのでしょう。
なぜ、仲良くなれたのでしょう。など、疑問が残ってしまいました。子供の頃にオウムと友達だったから、あんなに自然にやさしい良い子が育った。ではちょっと無理があります。
腐海に入ると死ぬかもしれないのに、それでも入ろうと決心したスタート地点があるはずです。そのあたりを描いて欲しかったです。
もののけ姫
何でこんな変な順番なの?と思った人。ただ、作者が振り返ってみている順番なだけです。深い意味はありません。
まず、もののけ姫を見終わった後に、様々な感想を見ました。あまり良くなかったと思う人や、ナウシカに及ばなかった。とか、深い意味が込められていた。
余韻に浸ることができた。と感想は様々です。作者もこれは、人と自然との共存がテーマだと思います。でも、ナウシカに全く及ばなかった。とは思いません。
ナウシカでは、善と悪で分かれていましたね。でも、今回はどれが善でどれが悪なの?と曖昧です。最初、いのししを化け物に変えた鉄の塊を持って旅をしますね。
これが、鉄砲の玉だとわかったとき、悪は人間かぁ。と思います。そうなってくると、ナウシカと同じですね。でも、この映画では人にも人の理由があり、一体どっちが悪いんだ?
という印象を受けてしまいます。ようするに、どちらにも事情があり、どっちが悪いとは言えなくなるんですね。そして、その中立にいるのが主人公アシタカなわけです。
答えの出ない方程式を見せられているような感じです。だから、人によっては、何が言いたかったんだ?と疑問に思ってしまい、それが=おもしろくない。に繋がってしまったのかもしれません。
この映画では、最後まで結論は出ません。むしろ、スタート地点に戻るわけです。もうわけがわからない・・・。と思わずに何が言いたかったのか。ちょっと、他のもののけ姫を見た感想の中で印象に残った感想を書きますね。
まず、アシタカは見届ける役目をしています。なので中立な立場にいるわけですわけです。そして、自然側の人間がサンであり、人間側はエボシ御前なわけです。
そうやって分けてみることができ、当然自然と人間は敵対です。そして、最後までサンは人間を嫌いだ。と言っていました。ようするに、今でも自然は人間を嫌っているってことですね。
それに、エボシ御前は腕を食べられていました。死にはしませんでしたが、自然のツケってやつですね。今でも、天気を左右できずに被害が出ているような感じです。
シシ神様は最後まで中立のまま見ていました。神様は何もしてくれないよってことですね。だから、自分たちで決めていかなければならない。(この感想は印象に残った)
こうして見てみると、わかりやすいようでわかりにくい映画だと思います。作者にでも完全に消化できているとは思えません。というか、消化できるのかあやしいところです。
なんだか、見ている時より、見終わって振り返ったときの方が得られるものが多かった気がします。あれはそういう思いで、これはこういうことか。
等、ちょっと方程式の仕組みがわかった感じが多かったからだと思います。
最後、アシタカは生まれる村にも、自然にも帰らず、タタラ場に残ると言います。何でだろうと思いました。これは他の人の感想を見たんですが
アシタカは自然と共存できる方法を具体的には言っていません。でもどうにかしたいと何度も言っていますね。そう考えると、タタラ場に残り
サンを通じて、自然と共存できるかもしれない。と思ったからなのでしょう。そう考えると納得できました。
それに、呪いはとけたけど、手に少しアザが残っていましたね。あれは、神を殺したという事実は消えないという戒めなのでは?という意見がありました。
正直、作者は、思い出したら残っていたなぁ。と思うくらいだったので、そんな些細なことの理由を考えるなんて・・・。と思ってしまいました。
ただ、シシ神様の殺され方は納得がいきません。首が飛ばされて、って時点であれ?と思いました。それだったら、首を撃たれた時に怒ったほうがよかったのでは?
怒り狂って、町を破壊していって、人では制御できないよ、という印象を持たせたほうがよかったのでは?あれだと、神って殺せるのか。という印象を持ってしまいます。
あと、祟り神になる条件がいまいちわかりませんでした。傷を負っただけでなるの?人間を恨んでいるから?病気にかかったの?と、いろいろな予測になってしまいます。
ちょっと、明らかにしてほしかったですね。
ちょっと言い出したらキリが無いのでここらへんにしておきますね。作者としては、ナウシカと似たようで違うと思います。そうなってくると、ナウシカを比べる必要が無いように思えます。
全然違うと言っているわけではないのですが、割り切って見てはいかがでしょうか。後味を楽しめる映画だと思います。
天空の城ラピュタ
久しぶりに見ました。というか、全然内容を覚えてなかったので新鮮な感じで見れました。一番印象に残ったのは音楽ですね。これは使うタイミングといい、音といい、凄いと思ってしまいました。
たぶん、今更思ったの?と思われますが、久石さん、凄いです。あと、空での背景への気配り。これは、宮崎さんの凄いところが発揮されていますね。どうなったら、雲に青以外の色を入れようと思うのでしょうか。
作者は美術部でもないし、出身者でもないのでわからないんですが、何か根本的に違うなぁ、と思ってしまいました。まぁ、当たり前ですね。
あと、声優さんに違和感を感じなかったのも久しぶりでした。凄く熱意が伝わってきて、映画の中に引き込まれました。やはり声優さんの役割は大きいと思います。
この映画のテーマは何だろう。って考えました。でも何も浮かびません。浮かばないだけで心に残らないわけではありません。一体なぜなんでしょう・・・。
でも、まったく嫌な気持ちにならないんですね。作者としてはちょっと不思議な映画です。作者が一番心に残った場面は、ロボットと自然が暮らしているところです。
機械と自然は、ある意味対立するような関係であると思っていたので、感動してしまいました。具体的に言ってよ、と言われてもちょっと言い表せない・・・。
んー・・・。うまくまとまりません。簡単に言ってしまうと、「主人公がヒロインを助けにいく物語です。」で、片付くんですが、これは見ないと伝わらないものがあるのではないでしょうか。
すいません、ちょっと余韻を残しつつ書いているんですが、どうもまとまりそうにないですね(苦笑。ってことで、また振り返ってから付け足します。
ちなみに。ムスカが王族だったんで、飛行石の光が消えなかったんですね・・・。納得。
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